私はもしかして廃墟が好きなんじゃないだろうかと初めて感じたのは、
とてもベタだがこの廃墟をあるときたまたまネットで見た時からだったと思う。
完全体の廃墟マニアになったのは川南造船所に行ったことがきっかけだったけれど、
それ以前に、たまたまネットでこの廃墟の写真を見て釘付けになったことがあった。
だけど自分が廃墟好きだと自覚していなかったので、ただ、「あまりにもキレイな世界だな・・・」と思うくらいだった。
他の普通の廃墟の写真を見ても、まだその当時はなんとも思わなかったので、よくわからなかった。
そして川南造船所に行ってそれが確信に変わったのだけれど、
それ以前に、「おや?」と思わされたきっかけは今思えばまさにこの廃墟だった。

夜景で有名な摩耶山にあるので、山を登る途中も大パノラマ。

到着した時ほんとうにワクワクした。

いつもどおり、だいたい撮影した時系列順に載せていきます。



撮影した写真を改めて見ると、私はほんとうにドアと窓が好きなんだなと痛感しましたが、
数多の廃墟の中でも、ここはそれらの美しさが極めて特徴的な廃墟である。

探索系といえど残留物などはほとんど撮影しない。
いつでもだいたい興味は建築にある。
まぁそれ以前にここは残留物がほとんど無いんですけどね。

でも私ってほんとに探索系なのかな、写真系でもないし・・・と思って夫に話したら、
「香織は精神系でしょ?」という新たなジャンルが飛び出してきた(笑)

建築好き+精神系=廃墟ということ?
目からウロコだわ。まさにそうかも。





多くの人に撮影され尽くしてきた廃墟であるため、それだけ多くの表情を撮影者に見せてきた。
撮影者が見る世界が「写真」になるので、例えばそれは事実そのものでないこともある。
それは幾分かその人の個性が写真に反映しているからだと思うけれど、
私はコンデジでほぼオートで撮影している。
今は夫の一眼をたまに借りることもあるけど、でも使い方がわからずやはりオート。
何がいいたいのかというと、

私のようなカメラに興味の無い人がオートモードで撮影している写真は、カメラ好きな人が撮るそれよりも、
現物のまま、事実そのものに近いものが撮れていると言えるのではないだろうか?ということ。
そしてそういった個性や主観のフィルターを限りなく排して撮っている写真にも関わらず、
これだけ美しいというのは、やはりこの場所が驚異的な魅力を持つ魔物物件だということなのだろう。

ただただ恐れ入った。
どこを撮っても絵になるのだから。

皆が空想の世界でイメージする美しく退廃した世界、それをナチュラルで実現してしまっている。
信じられないほどに、美しい。

実際にはこのホテルの現実的な廃業、放置、経年劣化が産み出した産物の
それ以上でもそれ以下でもないはずなのに、

まるで誰かがこの廃墟の空間を廃墟になるべくデザインし、それとなく色を抜き、

壁紙をはがし、光を取り込み

物を落下させ

ガラスを割り、散りばめて、

作り上げた。
そういうアート作品なのではないかと思わせられるほどに。

心を奪われる。












天井には神さまのパレット。
とてもキレイな彩色。
次回はこの廃墟の歴史などをお話したいと思います。